(ショー・ミー・ザ・ウェイ / ピーター・フランプトン)

I wonder how your feeling
There's ringing in my ears
And no one to relate to 'cept the sea
君は今、どんな気分でいるのかなぁ
僕の耳には電話の音
そして海以外、僕の心をわかっちゃくれない
Who can I believe in
I'm kneeling on the floor
There has to be a force, who do I phone
誰を信じりゃいいってのさ
オレは床にひざまずいてる
そうしていれば何かが背中を押してくれるはずだから、誰を相手に電話をかけるのか?ってね
The stars are out and shinning
But all I really want to know
星は空に出て輝いている
でも、オレが心底知りたいことはこれだけだよ
Oh, won't you show me the way
I want you show me the way
教えてくれないか?
これから先どうすりゃいいのかを
教えて欲しいんだよ
これから先どうすりゃいいのかを、君にね
When I can see no reason
You living on your nerves
理由なんかわかりゃしないよ
君はイライラしながら過ごしてて
When someone drops a cop and I submerge
I'm swimming in a circle
I feel I'm goning down
There has to be a fool to play my part
誰かがコップを水に落とせば、オレはブクブク沈んでいく
円を描きながら泳いで、そのままダメになっていく気分なんだ
こんな役、馬鹿げてる話だろ
Well someone thought of healing,
But all I really want to know
そんな生活でも、癒されてると思うヤツはいたさ
でも、オレが心底知りたいことはこれだけだよ
Oh, won't you show me the way (everyday)
I want you show me the way
I want you day after day
教えてくれないか?これから先どうすりゃいいのかを
教えて欲しいんだよ
これから先どうすりゃいいのかを、来る日も来る日も君にね
I wonder if I'm dreaming
I feel so unashamed
I can't believe this is happening to me
オレって、夢を見てるのか?
恥ずかしいなんて思ってもいないよ
信じられないんだ、こんなことが自分の身に起きてるってことをね
I watch you when you're sleeping
And then I want to take you love
君が眠っている間、その寝顔を見てる
そして思うのさ、君を愛してあげたいってね
Oh, won't you show me the way (everday)
I want you show me the way
教えてくれないか?これから先どうすりゃいいのかを
教えて欲しいんだよ
これから先どうすりゃいいのかを、君にね
I want you day after day
Oh won't you show me the way (everyday)
I want you show me the way
君に教えて欲しいんだ、来る日も来る日もね
教えてくれないか?これから先どうすりゃいいのかを
教えて欲しいんだよ
これから先どうすりゃいいのかを、君にね
I want you night and day
I want you day after day
教えて欲しいんだ、昼も夜も
教えて欲しいんだ、来る日も来る日もね
<対訳>多々野親父
1970年代はロックスターの時代だと言われますが、最初にそれをおいらへ見える形にしてくれたのは、ピーター・フランプトンだったと思います。キッスもエアロスミスも知ってはいたけれど、カッコよさという点では彼がダントツでした。細面の顔立ち、カールのかかった長髪、そして大きく胸の開いたラメ入りの衣装、何をとっても彼にフィットしていたし、ギターを持った姿はカッコいいとしか表現できませんでした。大ヒットしたライブアルバム「カムズ・アライブ!」のジャケット写真をそのまま使ったシングル「ショー・ミー・ザ・ウェイ」の、あの黄色い縁取りがまた彼の華やかな雰囲気とものすごく合っていたように思います。ノッている時とはそういうものだと言いながら、そのまっ最中なんだということをはっきり感じさせてくれる人はなかなかいないものですし、あのアルバムが出た1976年当時のピーターにはそういうオーラのようなものが漂っていたように思います。ロック小僧になりたてだった小学校5、6年のおいらは、地元のレコード屋へ行ってはピーターのアルバムやシングルを何度も眺め、こんな風になりたいと思っていました。ラジオでピーターの曲が流れれば途中からでもカセットに録音したし、リクエスト番組へハガキを出すことも続けました。友達を誘ってNHK横浜放送局でやっていたFM番組の公開生放送を見に行き、自分が書いたピーター応援のハガキが読まれると嬉しくて飛び上がって喜んだりしていたわけです。
ピーターと言えばトークボックスが代名詞で、それはビルボードで最高位6位を記録した「ショー・ミー・ザ・ウェ」でのプレイで確立されています。ギターアンプにゴムホースをつなぎ、それを口に咥えて自分が弾いているギターの音へワウのような効果を生むこのシステムは、ピーターが使って以降多くのギタリストが購入し、録音でも使っていますが、ピーター以上の成功を収めた例と言えばボン・ジョビの「リビング・オン・ア・プレイヤー」くらいしかないのではないでしょうか。うまく使えば効果は絶大ですが、フレーズと口の動きを合わせる作業にはそれなりの技術が必要で、それがトークボックスをピーターのものにしている理由となっているように思います。加えて、このシステムを買うことができなかった若いギタリストたちが見よう見真似で作って感電事故を起こしたり、口の中で大きな音を出すがために耳を悪くするなど健康面に問題を抱えるケースも多く、おそらく今後もギタリストなら誰でもトークボックスを、という時代にはならないのではないでしょうか。
そんなおいらも、このトークボックスにやられた一人でした。当時、ギターのみならず音楽に関する情報の入手はラジオがほとんどで、どうやったらこの面白い音が出せるのかを教えてくれる人などいませんでした。しかし「ショー・ミー・ザ・ウェイ」を聞くと、間違いなく口で何かをやっていることはわかったわけです。なので最初は、そういう専用の機械があって、それは子供には買えない高価なものだと勝手に思い、謎解きをあきらめていたんですね。悔しかったら自分で金を貯めて買ってみろ!とピーターが言っているんだ、みたいな(笑)。
しかしある時、ふとしたことがきっかけで友達が自製のトークボックスを手にするヒントを見つけます。それは、イヤホンを口に入れるという荒業でした。彼はYMOのファンで、当然ボコーダーを使った曲もコピーしようとしていましたが、そんな装置を中学生が買えるわけがありません。そこで、何をきっかけにしたのかエレクトーンにボリュームを最大にしてイヤホンを銜えたところ、見事「口の動きに合わせて和音が出る」という夢のような瞬間を迎えることができたんですね。
それを教えてもらったおいらは、アンプにイヤホンをつないでそれを口の中で鳴らせば、あの「ショー・ミー・ザ・ウェイ」のギターソロができると思いつきました。しかし、ギターを弾きながら口を動かす、しかもワウワウをかけるように、という手法は難しく、しかもすぐに唾液でイヤフォンの穴がふさがってしまい、肝心の音が出なくなる、と悪戦苦闘を続けている間に、いつの間にかピーターになる夢は消えてしまいました。
「ショー・ミー・ザ・ウェイ」は1975年にスタジオ版がシングルカットされていますが、こちらは全く売れませんでした。ライブ版が収録された「カムズ・アライブ!」は、1976年に最も売れたアルバムとされ、この年を代表する作品として今も語り継がれていますが、両者の激し過ぎる差もまた記憶に残るものだと言えるでしょう。
ピーターはこの成功の後、ミュージカル映画「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」へ出演し、「アイム・イン・ユー」を全米2にまで上昇させる大ヒットにします。そして1980年代も変わらずレコードを売り続けると誰もが思っていましたが、時流に乗ることはできず、ナショナルチャートへ舞い戻ることはできませんでした(ただし、1986年にメインストリーム・ロック・チャートで「ライング」が最高位4位をマークするなど、地味ながら健闘を見せています)。
1950年生まれで還暦を迎えたピーターは、今も地方の農業祭などでギターを弾き、しわがれた声を聞かせてくれています。このところ急激に太っているようですが、かつての美少年は今も黒のレスポールを抱え、トークボックスを駆使しながらステージを楽しんでいます。最高の余生だと言えるのではないでしょうか。