(ヴァロッテ/ジュリアン・レノン)
Sitting on the doorstep of the house I can't afford
I can feel you there
Thinking of a reason, well it's really not very hard
To love you even though you nearly lost my heart
How can I explain the meaning of her love
It fits so tight, closer than a glove
ドアステップに座りながら、僕は余裕を失っている
君が家の中にいることを感じているから
理由を考えてる、別に大して辛い話じゃないんだ
君は僕の心を見失いかけているけれど、それでも君を愛している理由をね
君に愛してもらうことの意味を、どうわかってもらえばいい?
キツく感じるほど僕にはぴったり合っているということを
Sitting on a pebble by the river playing guitar
Wondering if we're really ever gonna get that far
Do you know there's something wrong
'Cos I felt it all along
川沿いの石に腰を下ろしながら、ギターを弾いてる
ここから先へ僕らが本当に立ち行けないなら、それは何故かを考えてる
2人の間にはよくない何かがあったことを、君はわかっているの?
僕はずっとそれを感じながら過ごしていたんだ
I can see your face in the mirrors of my mind
Will you still be there?
We're really not so clever as we seem to think we are
We always got our troubles so we solve them in the bar
As the days go by we seem to drift apart
If I could only find the way to keep hold of your heart
僕は、胸の内にある鏡に反射させて君の顔を見ることができるんだ
君は、まだそこにいてくれる?
僕らは、自分達が思うほど利口ってわけじゃないよ
僕らはいつもトラブルを起こし、それを法廷で解決して
時間が経つうちに、僕らの気持ちは離れていくようで
君の気持ちを繋ぎ止める方法だけでもわかれば、どんなにいいだろうと思うよ
Sitting on a pebble by the river playing guitar
Wondering if we're really ever gonna get that far
Do you know there's something wrong
Cause I felt it all along
川沿いの石に腰を下ろしながら、ギターを弾いてる
ここから先へ僕らが本当に立ち行けないなら、それは何故かを考えてる
2人の間には間違った何かがあることを、君はわかっているの?
僕はずっとそれを感じながら過ごしていたんだ
Sitting in the valley as I watch the sun go down
I can see you there
Thinking of a reason well it's really not very hard
To love you even though you nearly lost my heart
When will we know when the change is gonna come
I've got a good feeling and it's coming from the sun
谷あいに腰を下ろし、沈み行く太陽を見ている
僕には、そこにいる君の姿が見えるんだ
理由を考えてる、別に大して辛い話じゃないんだ
君は僕の心を見失いかけているけれど、それでも君を愛している理由をね
僕らはいつ知るんだろう?2人に変化が訪れる時のことを
そう思えば僕の気分は晴れるんだ、まるで雲間からこぼれる陽射しを浴びるように
Sitting on a pebble by the river playing guitar
Wondering if we're really ever gonna get that far
Do you know there's something wrong
We'll stick together 'cos we're strong
川沿いの石に腰を下ろしながら、ギターを弾いてる
ここから先へ僕らが本当に立ち行けないなら、それは何故かを考えてる
2人の間には間違った何かがあることを、君はわかっているの?
僕らは寄り添いあうんだ、2人の思いはそれほど強いものだから
<対訳>多々野親父
●偉大な父を持つ子供の悲哀、それをこれほどはっきり自分が体現することになろうとは、当の本人も想像できなかったのではないだろうか。受け継がれた血は、時に父の成し得なかったことを子が実現させることもある。そうした例はNFLインディアナポリス・コルツのQBペイトン・マニングなどいくつも存在するわけだが、逆のケースもまた枚挙に暇がない。ジュリアン・レノンの場合は、間違いなく後者ということになる。
ジュリアンは、ジョン・レノンが最初に結婚した相手シンシア・レノンとの間に1963年4月8日に生まれている。彼の幼少期はビートルズの人気が沸騰した時期と重なるが、アイドルとして扱われていた為にジョンが結婚していることは公にされず、当然ジュリアンの存在も隠されていた。その後、イギリスのメディアがこの件に気がつき報道するが、既に4人はアーティストとして捉えられており、それがファンの数を減らす作用は及ぼすことはなかった。逆に縛りが無くなったことから、ジョンは自分達の映画「マジカル・ミステリー・ツアー」の撮影現場にジュリアンを呼ぶなど、父親としての一面を覗かせる一幕を招いている。
ジュリアンは母親のシンシアと1969年に離婚したジョンについて「あの時以降、父とは数えるほどしか会っていない。そして会ったとしても心は遠くに離れていて、僕を脅えさせる方が多かったようにも思う」と振り返っているが、ヨーコに心を奪われたジョンにとって忘れられた存在になっていたジュリアンの境遇を見たポールが、彼をモチーフにして「ヘイ・ジュード」を作曲した話は有名である。また「ホワイト・アルバム」の最後を子守り歌「グッドナイト」は、ジョンがジュリアンの為に書いた曲だった。本来なら作者であるジョンが歌うべきものだったが、シンシアとの関係が緊張していたことを受け、彼に代わってリンゴがボーカルをとる選択がされている(リンゴのとぼけた声が、あの曲の魅力を際立たせたという意味においても、懸命な選択だったと言える)。更に、ジョンが1972年にリリースしたアルバム「心の壁、愛の橋」に収められていた「ヤ・ヤ」では、ジュリアンが叩いたドラムの音が採用されているのだが、こうした事実とジュリアンの言葉の間には、何か符合しないものがあるように感じられる。
ジュリアンは表舞台に立つこともなく1970年代を過ごしているが、そこに突然転機が訪れることになる。1980年12月8日にジョンが自宅のあったダコタハウスの前で射殺されたのだ。この4年後にジュリアンはレコードアーティストとしての歩みを始めるわけだが、そのプロジェクトが何も問題なく進められた背景には、やはり父の死後であったことも関与していたように思われる。もしジョンが生きていれば、ジュリアンは彼と比較するメィデアやファンの目に晒され、単純に彼の音楽性だけが俎上にあげられることはなかったはずだからである。彼は、ビリー・ジョエルや映画「フラッシュ・ダンス」のサントラでを手がけたフィル・ラモーンをプロデューサーに招いてデビューアルバム「ヴァロッテ」の製作を開始する。そしてここからファーストシングルとしてカットされたのがタイトル曲だった。
この曲は1984年11月3日にTop40入りを果たすと33位→29位→24位→18位→16位→12位→10位→年末休→10位→9位→19位→28位というチャートアクションを見せている。しかし、最高位9位のスマッシュヒットという記録だけで「ヴァロッテ」を語ることはできない。何故なら、ここで聞かれるジュリアンの声があまりにもジョンに似ていたからである。これがあるが為、「ヴァロッテ」は楽曲として十分に素晴らしい仕上がりを見せていたというのに、誰もが「ジョンに似ている」ことだけを記憶に書き込んでしまったのだ。これが彼にとっては悲劇だった。
「ヴァロッテ」に続いてリリースされたシングル「トゥー・レイト・フォー・グッドバイ」は1985年に最高位6位をマークするものの、これ以降ジュリアンにはジョン・レノン的なものが求められてしまうようになっていくのである。
ジュリアンは1986年にセカンドアルバム「ザ・シークレット・ヴァリュー・オブ・デイドリーミング」をリリースし、ここからシングルカットされた「スティック・アラウンド」は最高位32位にまで上昇するのだが、結局アメリカでのヒットはこれが最後になってしまう。やはりアメリカのリスナーは、ジュリアンを通してジョンを欲しがっただけだったのかもしれない。しかし本国イギリスでは1991年に「ソルトウォーター」が最高位6位をマーク、両国でのジュリアンに対する温度差を感じさせる結果を招いている。
ジュリアンは、デビュー後もビートルズの元メンバーとの親交を続けており、「ヴァロッテ」がリリースされることを聞いたポールは「がんばれ!」と電報を送り、また1991年に4枚目のアルバムとして製作された「ヘルプ・ユアセルフ」にはクレジットこそされていなかったものの、ジョージがゲストプレイヤーとして参加している。また、ジョンとヨーコの間に生まれた、ジュリアンにとっては腹違いの兄弟にとなるショーン・レノンが2007年に行ったツアーに同行するなど、40代を迎えて過去のわだかまりを解消する動きも見せている。
こうした背景から、一時ジョンの代りにジュリアンを起用してビートルズが再結成するという噂が流れたものの、結局ポール達はヨーコが提供したジョンの未発表デモテイク「リアル・ラヴ」と「フリー・アズ・ア・バード」に自分達の演奏を被せるという「時空を超えた」形を選択して「ビートルズ・アンソロジー」プロジェクトを成し遂げている。ジョージもこの世を去った今、再びジュリアンを交えてビートルズが動き出す可能性はないものと思われる。


